2024年1月2日(火)と3日(水)で実家へ帰省した時に、当時のMTBの思い出を思い出したくって記憶を掘り起こしてきました。の前編です。
マウンテンバイクライダーを長いことしていて、いろんなことを経験したり学んだりしていることになっていて、その蓄積が乱雑に積み重なって時が過ぎ去っていき、埋もれてしまった思い出が記憶の中から消えていく感じが、なんとなく寂しーなー、ってことで、日頃からなにかの拍子にちょくちょく過去の物が発掘されるたびに思い出を漁りながら、またいつか引き出しやすいように整理整頓をしている。っていう日々のような感じです。
過去のデータは、今後にも生きる、MTB活動の資料として活用のため、って感じですかね。
記憶から消えてると、また同じようなことがあった時、リセットして、同じような手間を繰り返しているのも、なんだか時間がもったいないなって思いもありまして。記憶を記録に整理整頓的な記事、ですかね。
お正月ツアー
お正月ということで、生まれ故郷へ一泊二日のツアーをした。ツアーと書くと大袈裟に聞こえるけど、帰省。行く前の年末、なんとなく「え?ひょっとして、自転車で行けそうなのか?オレ」みたいなインスピレーションがあるものの、「けっこーな距離だぜ、おい」っていうもう一人の自分とのぶつかり合いの中、冷静にGoogleマップで自転車の場合の経路を見ようとしても、出てこない?、設定なの?バグなの?なんなの?と無駄な再設定の時間に入る前に、「あ、そっか、徐行速度って、徒歩と同じだから、徒歩モードでいいのか」と思って、所要時間を見て、やめた。ということで、他の交通手段で移動をツアーした。
2024年1月3日(水)YANS MAG
MTB活動は移動の人生だった、これからも。
高校を卒業する頃にはクルマの免許をとり、マツダのプロシードというピックアップトラックを新車で買っていた。その費用はすでにマウンテンバイクライダーとして生み出していた。それからの移動はクルマが主体となったMTB活動には、クルマにマウンテンバイクを積むことが当たり前になっていたルーティーンの中で、道具や機材に依存しているからこそクルマがその当たり前の一つとなっていた。
もう忘れてしまっていた移動手段。それが、すっかり「知らない世界」になっていた。1年ほど前から歩行に目覚めていた。
歩行という移動方法。
依存からの解放で交通手段が自由になる。
お正月ツアーにはそれも使うことに。
移動手段からじわじわと
マウンテンバイクライダーとして遠征を覚えた頃の移動手段は鉄道だった。輪行でMTBを運んだ。駅までは自走、駅からも自走。車窓を眺めながら当時の記憶を思い出しながら。記憶のエンジンが温まっていく。
移動からして、サーキット、だったんだな、そういえば。
あの頃、駅での輪行は1秒を争うような速さでパッキングをしていたような、なんとなく思い出すに5分くらいなスピードでトランスフォーマーだったような。
人々でごった返す駅内のライン取りは、いつも難しい。駅内はいつもサーキットだったよなぁ(笑)
そして、今日も、お正月の人々は、駅内レーサー。サーキットさながらの歩行が繰り広げられていた。
そうか!、歩行技術の出番だな
同じような速度で前を歩く人々、アフォーダンスによって同じようなライン取りをする人々、それらを追い抜くには、、、
歩行1.5倍速走法!(可動範囲の中で姿勢変化を最大限使う)
つまり、競歩、的な、歩き方で、ごぼう抜きがたのしい!(笑)
みたいな発想を持って、遠征の移動からして、マウンテンバイクライダーをしていたんだなぁ、と思い起こす。
そして、いち早く駅前に出ることができれば、天下だった。みたいな。
真っ平な、濃尾平野
改めて生まれ育った土地を見て、山一つない(ことはないけど)濃尾平野だよな〜、高低差と言えば、川を渡る橋の前後だけ、っていう、マウンテンバイクライダー環境だったんだよなー。もしかして、その「真っ平」っていう創造を掻き立てる環境に恵まれていたってことなんだなッ。っていう発見だったのかもしれない今回のツアーの収穫。マウンテンバイクとは創造力を養う自転車だったのか。
2024年1月3日(水)YANS MAG
そのことは、毎度ながら、出身地を聞かれる度に「だから山の環境なんだ」的な先入観が、あるあるの話は、先日の取材でも、補足した。
MTBの主語で「岐阜県」と言葉が並ぶと、「山の中だろうな」という印象を持たれるみたいで。実際は、濃尾平野なので、真っ平なところです。
取材への回答の補足
各種マスなメディアさんには有名にしていただけた。んだけど、取材を受けるたびにいつもこれを思っていた。伝えたいことがありきで取材が進行し制作される場合、こちらが伝えたい事実を伝えきれないジレンマ。そこからは多くのことを学んだ。今伝える側として役にたっていることを思うと、そのことも含めて感謝ですね。
当時、いろいろなところで取材も受けたよな〜、時間ができたら、そんなところへも巡りたくなってきた。
バスからの学び
ツアーは、駅からはバスで移動。夕暮れにシルエットする平野の僅かな凹凸をエンボスで感じ取り、マウンテンバイクライダーがレーサーになっていった頃の環境の恵を眺める。
でも、あの頃は、バスにはほぼ乗っていない。駅を降りればMTBで移動していたな。(もしくはタクシーだった)
最近になってからの新たな経験として、慣れていないバスは、ドキドキがとまらない。マウンテンバイクライダー初心者の気持ちを味わえる。いつもそんな期待で各種の初心者体験は、MTBレッスンの勉強になります。
(最近はもうバスには慣れてきているんだけど)
あれからは時が沢山経ち去った。慣れない経験も少なくなった。慣れている事に凝り固まった。慣れない事への必然も減った。慣れない事へも意識ができるようになった。
当時は、MTBを通じていろんな事に慣れさせてもらったんだなぁ。
コーチングスキルをこころみてみる
実家への帰省で両親へ「携帯電話を携帯する癖をつけて」って、もしも体が身動き取れなくなった時のために、今の「携帯電話を定位置に置く癖」を取り除くために、新しい癖をつけて。新しい癖は古い癖を取り除いてからじゃないと身につかないよ、新しい癖はめんどくさいけど、やってればその内に身につくから。新しい癖が身につく頃には古い癖が取り除けてるから。っていう話は、自転車も同じなので、頑固で手強い身内へコーチングスキルを試みてみました〜。
2024年1月5日(金)Threads
子どもの頃から自転車が好きだった。感じるままに走っていたその延長線上でマウンテンバイクに自分の生き方を見出せたことで、勉強ができないことの代替の方法としてMTBのそれらが自分の中でのコミュケーション手法となっていた。
うまく走ることで褒めてもらえた。速く走ることで認めてもらえた。レースでは言葉を必要としないでも意識を伝えることのできる手法だった。成績の数字は、今で言うところの時短やタイパとなって、説明不要の手っ取り早い手法となった。
その慣れは、どんどん言葉を失っていった。
そんなレーサー時代を経て、またMTBから言葉を学ぶ今となった。
慣れきった癖を取り除き、新たな癖へ慣れようとしている。
両親もまた、応援の形を表面では表さない(こちらが拾えていないのも相まって)、自分も言葉では伝えられていないそんなMTB活動を見守って応援してくれていた、そのことを歳を重ねて自覚してみると、そんな無口だった息子がペラペラとコーチングする異様な圧力も与えながら、正月ツアー初日の実家をたのしく過ごせた。
物置探検
実家の物置の奥にしまっておいた段ボール箱たちを探ってきましたよ。物置の手前に置かれた最近の物を全部どかして、奥に積まれた段ボール箱を全部開けるとヤバいことになりそうなので、手前の箱をちらっと覗いたら、….
2024年1月5日(金)YANS MAG.
機材オタクのバイブル
手前の箱をちらっと覗いたら、当時の雑誌に紛れて、時刻表が見えた。当時の輪行少年御用達の時刻表だったな、これ。なんか思い出したけど、いろいろと極めた記憶が、輪行袋につめる時間とかつめ方とか手回り品切符とか乗り換え時間とか邪魔にならない乗せ方とか。酔っ払いに蹴られたとか。高校生の時は輪行であちこち遠征したなー。当時の輪行袋もたしかこの箱たちの中にあるようなないような。
2024年1月5日(金)YANS MAG.
時刻表と共に、雑誌が沢山。
サイスポこと自転車専門雑誌のサイクルスポーツの発売日は毎月20日で、その日は下校途中に本屋に立ち寄っていた。たしか20日が日曜日だと前倒しで発売されていた月はちょっとラッキー感だったなぁ。
たぶん、この中に、機材オタクのバイブルっていうか、カタログ号があるはずなんだよね、ページを舐め回すように見返して、何ページの何行目にどんなパーツがあるか、みたいな詳細なところまで覚えた感じ。
時に、誤植まで見抜き。
特に、重量には厳しかった(笑)
「機材オタク」って響きが、言われる側に立つとちょっとイラッとネガティブな印象だった時代も過去あって、自分もそのこと(自分が機材オタクである自覚的な気持ち)を恥ずかしく感じていたことを思い出す。
今はもう、世界に誇る日本文化の「オタク」呼ばわれなので、MTB界も同じく、「機材オタク」は世間体を気にすることなくたのしめるよい時代だぁね。
あの頃は、マウンテンバイクをしていること自体が、そんなオタク感によって、恥ずかしくて、人には言えなかったことを、思い出す〜(笑)
今では、かっこいいものなのだ、マウンテンバイクライダーは自信がモテる。
遠征バッグ
大きなコレ、(写真にすると小さくも見えるけど)実家の物置で眠っていた当時の物。輪行と共にMTB活動の遠征で使っていた物。1988年くらいだと思う、当時MTBを通じて出会えた川合さん達のスタイルに憧れて、真似て買ったやつです。市内の登山店まで出向いて買いに行った記憶がうっすら残ってる。登山用だと思うけど登山で使うことはまったくなくMTB遠征バッグとして輪行移動で活躍したやつで実用的でした。今見ても、普通に使えそうなくらいの劣化感ない感じの状態だったので、ちょっとびっくり。
2024年1月9日(火)YANS MAG.
憧れが真似を生む。真似ることで購買する。
その時の見え方は、かっこよく見える。
かっこいいものは欲しくなる。
「かっこいい」ってなんなんだろう?
MTBを通じて出会えた人たちは、みんな自分に自信に満ち溢れていた。それを見て、自分のやっているMTBにも自信を持てた。着るものや身につけるものにも自信が持てた。
それらがブレない人は、チョーかっこよく見えた。
そういうメカニズムなんだな〜、と改めて思い起こした。
中にしまわれていた物たち
一人用のテントとマットが出てきた。
ああ、そうそう、このテント!
そう言えば、シマノスクエアで「オフロードライドの楽しみ方講座」をした時のスライドでお見せしたテント泊写真に写っていたやつだ。
今で言う、バイクパッキング?だっけ、ソロキャンプ?
Reネーミングすると新しく生まれた感を感じちゃうけど、時代は繰り返していて、ビジネス的に購買意欲のキッカケ作りに勤しむ世の中の仕組みなんだよなぁって、そう冷めた目で思ってしまう歳を重ねた偏見(笑)を、リセットしたい、よなぁ。とも。
こうやって時を経て客観で見て、あれもこれもそれも、自分にとっては、目的のための手段の道具、ってことなんだな。道具が目的になっているのとでは、そもそもカテゴリーが違うので、お互いの理解がまず必要ですなぁ、と、物置からの記憶DIGで、Re学び。
以上、話が長くなりそうなので、前編でした。